東京地方裁判所 昭和35年(ワ)768号 判決 1962年11月21日
原告 共積信用金庫
事実
原告共積信用金庫は請求原因として、原告は債務弁済契約公正証書により、訴外塩塚時男に対し昭和三十四年六月二十四日現在において、貸金残金四十九万五千円及びこれに対する遅延損害金債権を有する。そこで原告は右公正証書の執行力ある債務名義に基き昭和三十五年五月二十六日訴外塩塚時男に対する有体動産について強制執行をなしたが、これのみでは右債権の満足を受け得ず、同訴外人には、他に強制執行の対象となるべき財産としては、本件宅地を除いては存在しない。
しかるに同訴外人は、無資力のように見せかけて原告に対する前記債務の支払を免れようとし、債権者である原告を害することを知りながら、同年同月三十日、同訴外人の所有する本件宅地を被告塩塚コメノに贈与した。しかして、同被告は右訴外人の母であり、同訴外人には他に財産もなく、従つて被告が右贈与を受けては債権者である原告を害することを知りながら右贈与を受け、同日登記をしたもので、悪意の受益者である。
よつて原告は被告に対し、訴外塩塚時男がなした本件宅地の贈与を、原告の同訴外人に対して有する債権額である金五十九万六千五百七十四円の範囲内において取り消し、並びに本件宅地は一筆のものであり且つ同地上には建物一棟存在するので不可分のものと認められるから、本件宅地の一部について返還を請求することはできないので、それに代るべき相当額の損害の賠償として、前記取消の範囲即ち金五十九万六千五百七十四円の賠償及びこれに対する支払済に至るまでの遅延損害金の支払を求める、と主張した。
被告塩塚コメノは答弁として、本件宅地上の家屋は昭和十五年中被告が下宿業を営んで貯えた金で買入れたもので、現在でも被告の所有となつている。
ところで本件宅地は、終戦後その所有者が物納したので国の所有となつたのであるが、地上建物の所有者にその宅地を払下げることとなつたので、被告は本件宅地の払下げを受けることとして、自己の下宿業によつて取得した資金をもつてその支払に充当した。右払下げによる所有権移転の登記等の種々の手続をするために、被告の長男である訴外塩塚時男の妻よしえが、被告に頼まれて当時物納不動産払下げの手続を代行していた勧業不動産株式会社に行つたところ、偶々夫の同僚であつた訴外千原栄一に会つたので、同女は右訴外人に右手続をしてくれるよう頼んだところ、同訴外人は勝手に訴外塩塚時男名義で払下の申請及び登記手続をしてしまつたのである。しかして被告としては異議はありながら、長男のことではあるしするのでそのままとしていたのであるが、その後同訴外人の勤め先が営業不振となり給料も支払不能に陥り、又同訴外人が友人関係や業務上の都合で連帯保証をして家具を差押えられたりしたので、被告も本件宅地を同訴外人名義のものとして放置することに不安を感じたので、贈与の名目で、真の所有者である被告の名義としたのである。従つて、登記簿上は贈与となつていても、これは便宜上そうしたものであつて、真の所有者である被告にその名義を直したにすぎないものであるから、原告の請求は失当である、と主張して争つた。
理由
原告が昭和三十四年六月二十四日より現在に至るまで訴外塩塚時男に対しその主張のような債権を有すること、昭和三十五年五月二十三日同訴外人に対して原告の申請により有体動産の差押がなされたこと、本件宅地は同訴外人名義のものであつたが、右差押直後の同月三十日付贈与による所有権取得登記により同訴外人の実母である被告名義のものとされたこと、同訴外人には本件宅地を除くと、他に前記の原告に対する債務の引当てとなるべき財産の存しないことは、当事者間に争いがない。
次に原告は、同訴外人と被告間の本件宅地についての贈与行為を主張するのに対し、被告は、本件宅地がもともと被告の所有であり、従つて登記簿上は原告主張の如く贈与となつていても、それは便宜上そうしたものにすぎず、真実はその所有名義を真の所有者である被告名義に直したのにすぎないと主張するので、この点について判断するのに、証拠によれば、本件宅地上の家屋は昭和十五年中被告が訴外市川広雄より買い受けたもので、現在でも被告の所有であること、しかして本件宅地は同訴外人より被告が賃借していたのであるが、終戦後物納とされて、国が所有していたところ、地上建物の所有者にその宅地を払下げることとなつたことが認められ、さらに他の証拠によれば、被告は昭和二十七年中本件宅地の払下げを受けようと思い、被告の一人息子である訴外塩塚時男(当時北海道に出張中で不在であつた)の妻よしえに本件宅地の払下げの申請手続をすることを依頼し、被告の印鑑と、被告が下宿業を営んで貯えた金五千円を持たせて、当時物納不動産払下げの手続を代行していた勧業不動産株式会社に行かせたこと、しかして同女が右会社へ行つた時、偶々同会社と同一建物内にあつた近海航業株式会社に勤務していた同女の夫の同僚であつた訴外千原栄一に会つたこと、そこで同女は同訴外人に右手続をしてくれるよう頼んだところ、同訴外人は、被告の家庭の事情をよく知つており、訴外塩塚時男は引揚者で無資力であるのだから、払下げに要する金員は全部被告が出すことはわかつていたが、被告は老令であり又仲々やかましやであるし、どうせいずれは一人息子の時男のものとなるのだから時男名義で手続をしたらよいであろうと、同女に助言を与え、且つ訴外千原栄一自ら申請書に時男の名を書いて手続をしてしまつたこと、同女も同訴外人のいうように、時男名義にしておいてもよいだろうと考え、被告には全然相談せずに、同訴外人が必要事項をすつかり書いてくれた書類に、預つて持つてきた被告の塩塚という印を押捺したこと、被告は同女より右のことを聞き知つたのであるが、自分名義で申請しようと、一人息子の時男名義で申請しようと、同じことだと、深く考えもせずそのままにしていたこと、その後、被告が自己の下宿業によつて取得した資金を以つて、払下げ代金四万八千八百十八円を何回かに分けて完納したこと、右代金完納後の、昭和三十二年七月頃、新宿の財務局の出張所に本件土地の権利証をとりにくるようにとの通知があつたので、被告は訴外塩塚よしえに、被告名義に変えてきてくれと依頼してとりに行かせたのであるが、はじめの申請手続が時男名義になつている関係で、登記の方も一応時男名義となつてしまつているから、改めて登記簿上の所有名義を変更する手続をとらなければならないといわれたこと、その後登記の名義を変更するには費用がかかると思いそのままにしてしまつていたこと、然るにその後時男の勤め先が営業不振となり給料も支払不能に陥り、同訴外人が友人関係や業務上の都合で連帯保証をして家具を差押えられたりしたので、被告も、本件宅地を同訴外人名義のものとして放つて置くことに不安を感じたので、便宜上贈与の名目で被告の所有名義のものと変えたことが認められる。
以上認定した事実から判断するに、もともと国から払下げを受けて本件宅地の所有者となつたのは被告であつて、ただ右認定のような事情により、単にその形式上の所有名義が訴外塩塚時男名義のものとなつていたにすぎないことが認められる。しかして、同訴外人或いは被告から、原告に対し、右事実を利用して本件宅地が同訴外人の所有であるかの如く積極的に欺罔行為に出るなど、信義誠実に反する如き行為があれば格別本件においては、単にその形式上の所有名義が同訴外人名義のものとなつていたにすぎないので、原告としても、登記に公信力がない以上、本件宅地が被告の所有でなく右訴外人の所有であつたと主張することはできないといわざるをえない。
したがつて、登記簿上は贈与となつていても、これは便宜上そうしてものであつて、実は真の所有者である被告にその所有名義を直したにすぎないのであるから、原告が本訴において主張しているところの取消の対象となるべき贈与行為は存在しない。よつて原告の請求は失当。